奈良時代 _ 756年
小松石が岐阜県養老郡時村の竜淵寺の墓石に用いられました。(科学的調査の確証が得られています)
平安時代 _ 1160年
土屋格衛が岩村(現在の真鶴町)において、石材業を創業しました。(真鶴町にある、石工先祖碑の碑文より)
約40万年前から始まった箱根古期外輪山の活動末期、今から15万年前に誕生しました。
小松石の名称は現在の真鶴駅の山側にある、小松原と呼ばれたところから、砕石されていたことからつけられました。
小松石が岐阜県養老郡時村の竜淵寺の墓石に用いられました。(科学的調査の確証が得られています)
土屋格衛が岩村(現在の真鶴町)において、石材業を創業しました。(真鶴町にある、石工先祖碑の碑文より)
源頼朝が幕府を創始した際に鎌倉に大石を輸送しました。そして鎌倉の都市づくりや、寺院の建造、墓石などに用いられました。
後北条氏の支配のもと、小田原城の築城、社寺等建設が盛んとなりました。
豊臣秀吉が石垣山城(一夜城)を完成しました。小田原の石屋善衛門が徳川家康により、石工棟梁を命ぜられました。
徳川家康の江戸城入城後、改修工事が始まり、大量の石材を供出し、石材業が飛躍的に発展しました。
その後も幕府の命による、石材提供のため、紀州・尾張・水戸の御三家及び、松平家、黒田家などの大名が現在の真鶴町の各所に丁場(砕石場)を開き、石材を切り出し、江戸に送りました。
寛永寺文恭院(11代将軍家斉)の宝塔用材が切り出されました。
増上寺慎徳院(12代将軍家慶)の宝塔用材が切り出されました。
ペリーの浦賀来航によって、徳川幕府300年の安眠がにわかに崩され、あわてた幕府は、沿岸防衛のため、台場の築造を命じ品川台場の用石が切り出されました。
増上寺昭徳院(14代将軍家茂)の宝塔用材が切り出されました。
東京大学工科本館建設に小松石が用いられました。
宮内庁図書寮、早稲田大学記念講堂の建設用材が切り出されました。
八重洲ビル建設の用材が切り出されました。
昭和天皇武蔵野御陵玉垣用材を切り出しました。
鎌倉鶴岡八幡宮大石段修復工事用材を切り出しました。
長野善光寺石畳改修工事用材を切り出しました。
小田原城改修工事用材を切り出しました。
新橋駅舎復元工事用材を切り出しました。
皇居改修工事用材を切り出しました。